「十戒の学び43 第十戒」田村 英典(2018.06.27)

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十戒の学び43 第十戒

田村 英典(タムラ ヒデノリ)

北神戸キリスト教会 引退牧師

日付
2018年06月27日
所属
北神戸キリスト教会 牧師(2018.06.27当時)
場所
北神戸キリスト教会 祈祷会において
20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」出エジプト記 20章17節

 当教会で私が担当する祈祷会も、今日で最後となります。今日は、第十戒「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない」を短く学びます。

 出エジプト直後、モーセは神から十戒を与えられました。そして、40年度、イスラエルの民が神の約束の地カナンに入る直前、モアブの地で、モーセは十戒を再確認しました。その時の第十戒、つまり、申命記5:21では「あなたの隣人の妻を欲してはならない」から始まり、その後、「隣人の家、……」と続きます。出エジプト記20章では最初に「隣人の家」が来ますが、申命記5章では「隣人の妻」に変っています。

 第四戒でも言葉が少し変わりましたが、根本的な点は変わりませんでした。これは第十戒においても同じです。40年後、旅の生活から定住生活へと環境が変る際、より具体的なことを言う必要を覚え、モーセは「隣人の妻」を冒頭に持ってきたのでしょう。「隣人のものは、あくまで神が隣人にお与えになったものである。だから、あなたがそれを欲することは、決して許されない。隣人の妻を考えれば良い。彼女を欲しがることなど、決して許されないことがよく分るはずだ」ということでしょう。

 第十戒が問題としているのは何でしょうか。一つは、隣人へのあり方、姿勢という点です。読むと、すぐ分かりますように、この短い戒めの中に「隣人」という言葉が3回出てきます。すなわち、隣人が持っているもの、隣人に属するものにまで、私たちが自分の欲を広げることが、強く問題視され、自分に与えられているものに感謝し、満足することが求められています。

 ですから、度々引用してきましたが、ウェストミンスター大教理問答の問147、148は、こう語ります。宮﨑彌男訳で読みます。問147「第十の戒めで求められている義務は、自分自身の置かれている状態に十分に満足し、自分の隣人に対して思いやりに満ちた心のあり方を示し、そのようにして、隣人についての内なる思いと感謝とを挙げて、隣人の所有しているあらゆる良いものに心を配り、それを増進させることです。」問148「第十の戒めで禁じられている罪は、次の通りです。すなわち、自分自身の経済状態に満足せず、隣人の持っている良いものをねたましく、また、心憎く思うこと、さらに、何であれ隣人の所有しているものに、おおよそ法外な思いや愛着を寄せることです。」

 第六~九戒同様、第十戒でも、根本はまさしく隣人を神の前で尊ぶという意味での隣人愛を、何より神が求め促しておられるのであり、隣人のものまで欲しがる私たちの罪を、改めて最後にもう一度決定的に「否!」と禁じ、自分に与えられているものに目を向け、感謝することを教えるのです。

 もう一点は、人間の欲の問題です。出エジプト記20:17の十戒を、口語訳聖書は「あなたは隣人の家を貪ってはならない」と訳し、貪欲を第十戒の取り上げる罪だと理解していることが分ります。但し、口語訳聖書で「貪る」、新共同訳で「欲する」と訳されているヘブライ語ハーマドは「強く望む」という意味であり、必ずしも際限なく度を越して欲しがる貪欲という程の意味でもありません。

 とはいえ、この強く欲することが隣人のものにまで広がるならば、それは貪欲と言わざるを得ないでしょう。そして、コロサイ3:5はハッキリ言います。「貪欲は偶像礼拝に他ならない。」

 貪欲と訳すかどうかはともかく、隣人のものまで欲する人間の罪深い欲という根本問題を、第十戒は取り上げているのです。ですから、第六~九戒の対人的戒めの違反に全て共通する隣人にまで手を伸ばそうとする人間の際限のない欲そのものを、十戒は最後の戒めにおいて再度取り上げ、一連の戒めを締め括ろうとしていると言えます。その意味で、ハイデルベルク信仰問答の問113は、短いですが、大切な点を語っていると思います。読んでおきます。問113「第十戒では、何が求められていますか。」答「神の戒めのどれか一つにでも逆らうような、ほんの些細な欲望や思いも、もはや決して私たちの心に入り込ませないようにするということ。かえって、私たちがあらゆる罪には心から絶えず敵対し、あらゆる義を慕い求めるようになる、ということです。」

 43回をかけて十戒を学んできました。新改訳聖書の箴言4:23に「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。命の泉はこれからわく」とあります。最後の第十戒において、全ての罪ある言動の源である自分の心、特に欲というものを「見張る」決定的重要性を私たちは教えられます。

 私たち罪人に、なおも熱心にお教え下さる神の計り知れない愛と憐れみを覚えます。
律法を全て私たちのために完全に守られた主イエス・キリストが、ご自分の御霊を注いで私たちをご自分に似る者へとさらに清め、十戒を通して、私たちがますます神と人への愛に自覚的に生きる者とされ、神の栄光が表わされますように!

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